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父、入院

皆様、明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

12月から日本に一時帰国しておりました。
本来なら1月初旬にカナダに帰る予定でしたが、まさに帰国日その日、みっしゃんと遊んでいた父がジャングルジムから落ち、腰椎圧迫骨折、救急車で病院に運ばれる事態に。

Booとみっしゃんはカナダに帰国。
私はフライトをキャンセルし、父の看護のため日本に残ることに。

圧迫骨折自体は、骨が固まりさえすれば治る怪我です。
入院したところで治療するわけでもなく、ひたすら骨が固まるのを待ち、歩行が可能になったらリハビリに励むくらいしかないため、普通は自宅療養となります。

という医師の言葉に、「父は独居で頼れる親戚等も近くにいないので、私1人での看護になるんですけど・・・」と答えると、先生、目剥きました。

「いやー、娘さん一人じゃ無理ですよ。トイレするのも物凄い大変ですよ」

私の脳裏には、父を背負いながら必死の形相でトイレを目指すも間に合わず最悪の事態に、という情景が浮かぶ。

無理だ・・・。

入院しかない。
ここの病院は圧迫骨折での入院を受け入れていないため、別の病院に救急車で搬送。
しかし、ここで困った問題が。
受け入れ先の病院、差額ベッドしか空いてない。

日額14,000円

たけえー!!ベッドたけえー!!

それにプラスして、食事代480円(1食)、日用品レンタル等の雑費、薬代等・・・。

1ヶ月も入院してたら、すごい額になっちゃう。
貯蓄だってほとんどないし、年金で細々くらしてるのに。

やばい。
なんとかしなくちゃ。

翌日、役所に相談に行きました。

「挫傷後、まだ間もないので、いつリハビリ開始できるかも、退院の目処も立ちませんよね。と、なると今すぐに介護保険の見切り発車というのはできないんです。
ひとまず、今日は介護認定の申請をしましょう。
介護保険の認定がおりるまでに、3週間から1ヶ月程度かかりますので、その間にお父様回復されるかもしれませんし」

がーーーん。
1ヶ月もかかるの・・・・。
そんなに入院させてるお金ないよ。
私だって、そんなに長くバンクーバーの家を空けられないし・・・。

どうしよう。

さらに追い詰められた気分で、とりあえず介護保険を申請し、その足で、高齢者支援センターということろへ。

そこでも、役所で聞かされたのと同じような話があり、その後、こんなアドバイスをもらいました。

「病院にソーシャルワーカーさんがいますから、その方に今の状況をすべてお話してみてください。必ず方向性を示してくれますから。差額ベッドでない病院を紹介してくれますよ」

おおお!そうなのか。

「今回、お父様の状況を知れて良かったです。これで私たちも、今後、お父様のことを気にかけることができますし。独居でいらっしゃる高齢の方を週に1回くらい訪問したりってこともやってるんですよ。ご家族の方も離れてらっしゃると心配ですよね」

という優しい言葉に、涙が溢れてしまいました。

次は、ソーシャルワーカーさんに相談です。
早速、病院で看護師さんにソーシャルワーカーさんをお願いしたところ、

「ソーシャルワーカーさんは病院全体で1人なんです。なので、ソーシャルワーカーさんの予定に合わせてアポを取るという形なので、1,2週間先になってしまうんですよ」

という残酷な言葉が返ってきました。

そ、そんなに長く差額ベッド払えないし、私、みっしゃんの元に帰りたいのに・・・・。

一旦は病室を後にした看護師さんでしたが、すぐに戻ってきて、「今、丁度ソーシャルワーカーさんがナースステーションにいたので、話してみたら、今から来てくれるそうです」と嬉しそうに教えてくれました。

やったー!!!ラッキー!!


「その状況でしたら、1日も早く差額ベッドではなく、かつリハ科のついた病院に転院し、自立生活が可能になるまで病院でリハビリを続けるという形が一番だと思います。その頃には介護認定もおりているでしょうから、退院後にはお安くヘルパーさんを頼めるでしょう」

そして、顔の利く病院に話をつけてくれて、その3日後、入院から10日後には無事転院することができました。

なんという素早い対応。

お先真っ暗だった状況に、一筋の光をもたらしてくれたソーシャルワーカーさん。
神です。


私がこれら手続きに奔走している間、父は腰の痛みに加え、左足にかなりの痛みが出ており、自立歩行はおろか、ベッド上でのリハビリも困難な状況でした。

そんな父の姿を見ていて、「筋力低下してこのまま歩けなくなってしまうんじゃないか」という不安にかられる私。どこまで励まし、どこまで優しくし、どこまで頑張らせればいいのか、その匙加減にも悩みました。

そして、お金の心配、退院後の心配、バンクーバーで私を待つBooと、みっしゃん対する心配。
みっしゃんとは毎日LINEで話していましたが、その度に、「マミーに会いたい・・・寂しい」と泣かれ、私も泣きました。
父のそばにいてあげたい気持ちと、ミッシャンの元に戻りたい気持ちで、心が引き千切られる思い。
体が二つあれば・・・とどんなに思ったか知れません。

日々の心労からか、アレルギー症状で鼻水ダーダー、くしゃみ連発、体はバキバキ。
日本円を無駄遣いするのもはばかれるので、マッサージも我慢我慢。

そして、ある日、爆発しました。

「おとうさん!私だってがんばってるんだから、お父さんも頑張ってよ!!ああ、とか、うんとかじゃなくて、ちゃんと大丈夫だって言ってよ!!そんなんなら私もう全部放り投げてカナダに帰るよ!!頼むよ、おとうさん!!もう私、折れちゃうよ」

ヒステリー状態になって泣き叫んだので、あまりよく覚えていないのですが、こんなようなことを叫んだと思います。

慌てて看護師さんが病室に入ってきて、私の背をなで、なだめてくれました。
「1人で抱えないでくださいね。私たち、話聞きますからね」

そう、私は1人で抱え込んでいたんです。
1人しかいないから。
周りに頼れる家族もいないから。


この爆発のあと、つき物が落ちたように、私は落ち着きました。

「お金と時間がかかってもいいから、自立できるまで病院でしっかりリハビリしてもらう。私がいるとお父さんも頑張りすぎちゃうのかもしれない。自分のペースで治すほうがいいのかもしれない。心配だけど、あとはお父さんを信じるしかない」

自分の焦りを父にぶつけてしまっていたことを、反省しました。

翌日、「お父さん、ごめんね。今回さ、貯金使い果たしてもいいから、自分のペースでゆっくり完治させてね」と謝りました。
父に泣かれました。
借金と自己破産で、家族にお金の苦労をかけっぱなしだった父。
ここへ来てまた私に苦労をかけていることに、父は父なりに胸を痛めていたのでしょう。
あんなことしなければ良かった、という後悔にさいなまれていたのかもしれません。


転院から2日後。
相変わらず左足は痛むものの、腰の痛みは大分落ち着き、顔色もよくなり、明らかに気持ちが前向きになっている父の姿に、私もひとまずホッとしました。

私のアレルギー症状も嘘のようにおさまりました。
転院先の主治医の先生も看護師さんも、とても熱心で頼れる存在です。

自治会へ顔を出し父のお見舞いを頼み、病院側にもくれぐれも宜しくと伝え、私は18日にカナダに帰国しました。


今回のことで、父と役所のつながりが持てたこと、介護認定の申請ができたこと、様々な仕組みを知れたこと、そして何より、人は1人で生きられないと実感することができました。
たくさんの人に支えられ、たくさんの優しさに触れ、感謝でいっぱいです。

父の自立を見届けられなかったのは残念でしたが、ここからは父を信じるしかありません。
これから辛いリハビリが待っています。
私にできることは、日々せっせとメールを送ること。
みっしゃんの写真を送ってあげること。
次の一時帰国の話をして、希望を持たせてあげること。

おとうさん、がんばれー!

今日はミッシャンの5回目の誕生日です。
ずっと我慢して私を待っていてくれたミッシャンと、日本で買ってきたWiiスポーツを解禁。
特別に2時間、一緒に楽しもうと思います。

by myums | 2016-01-21 05:44 | 国際結婚とカナダ  

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