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虐待について考える

前回の投稿から随分時間がたってしまいました。
もうお分かりかと思いますが、「ある家庭の場合」に出てくる長女は、私です。
幼少時代の生活を少しでも客観的に書けたらと思ったのですが、読み返してみると、客観からは程遠い文章になってますね。
今回は、背伸びをするのをやめて、自分自身の言葉で書いてみたいと思います。

虐待とはなんでしょう。

法的定義では4つに分類されます。

1.暴力による身体的虐待
2.十分な衣食住を与えない等のネグレクト
3.性的虐待
4.暴言や自尊心を踏みにじる心理的虐待

私や妹が受けたのは、4番目にある心理的虐待にあたります。
実はつい最近まで、自分が虐待されていたという事実を受け入れることが恥ずかしいと思っていました。

だって、虐待ですよ、虐待。
そんな大げさな。
ちょっと厳しい家庭で育っただけで、似たり寄ったりな家庭は他にもあるし、厳しいしつけで育ったすべての子供がトラウマになるわけじゃない。

自分の弱さは自分の問題。虐待を言い訳に使うなんて、恥ずかしいぞ、自分。
仮にあれを虐待だとしてみたところで、何が変わる?
ダメな自分に変わりはない。

自分は自分で変えるしかない。
それができないから、私はダメなんだ。
あー、ダメだ。ダメなんだ。


てな具合に、同じところをグルグルグルグル回り続けて、一歩も前に進めないヘタレ自分に嫌気が差すという日々。
嫌いな自分を否定するために、強がって、外面はあくまで明るく。でもちょっとは弱さを知ってもらいたい。可哀想と同情してもらいたい気持ちもあったり。

まあ、なんとも面倒くさい女です。

私のこういう面倒な性格は、生まれ持っての性質でしょう。内気で人見知りで、そのくせプライド高い。けどね、人間ですから、良いところもいっぱいあるはずなんです。その長所がどこなのか、自分でまったく分からない。丸っきりの欠点人間にしか思えない。

自己愛の欠落ですね。
自分に自信をもてない。生きてても良いという価値が自分に感じられない。


虐待を受けて育った人の多くに見られる現象に、自己愛や自尊心の欠落があります。
常に、なんとなーく自分に自信がない。いっくら頑張っても自分を褒めるということができない。
たとえば、テストで100点とったとしますね。
それでも本人は、「今日はたまたま良かっただけで、次はきっと悪い点数になるんだ」と、ものすごーく暗い考え方をしてしまう。

これは生まれ持っての性質ではありません。
ささいなことで激昂する親の顔色を伺っているうちに、良いことのあとには何倍もの悪いことが起きるという仕組みを無意識に植えつけられているのです。

この思考が癖になってしまうと、大人になってもネガティブスパイラルな思考の渦に陥ります。

Booにプロポーズされたときも、嬉しさよりも不安でいっぱいになりました。

「私がこんなに幸せな気持ちになってしまって良いのだろうか。私なんかにそんな権利があるのだろうか。私のように弱くてズルクて何もできない人間が、これ以上幸せになったら罰があたる。Booにはもっとキレイで賢くて強い女性がいるはずだ。
あー、でもBooのことは大好きだから、一緒にいたい。
どうしよう、決められない。
ダメだ。やっぱり私はダメだ」

どうでしょう、この暗さ。
しかも、これが、素です。
なんのドラマティックさも含まずに、素直にこうなっちゃうんです。

この当時、28歳あたりでした。
アラサーにしてこの未熟な思考。
自分でそれが分かっていただけに、なおさら自分が嫌でしたね。

この頃も、鬼婆い追いかけられる夢は時折見ていました。

私がトラウマから抜け出せたかな?という感触をもてたのは、つい最近の話です。
物心ついた頃から30年以上かかりました。

今では鬼婆の夢も見ません。
自分に迷うことも、他人の顔色を伺うことも、少しはありますが、ほとんどありません。
ネガティブ思考に陥りそうになる自分をコントロールすることもできるようになりました。

私って欠点も多いけど、こんな良いところもあるじゃない、と思えるようになったのが一番の成果です。

死んだ母に対し、「生んでくれてありがとう」とは思いません。でも恨んではいません。私と母は、相性が悪かったんだなという諦めがあるだけです。

父は存命で、過去を償うかのように私に良くしてくれます。昔のことを謝ってもくれます。父は、母が私たち姉妹に吹き込んでいたような「どうしようもない男」ではなく、「不器用ではあるけれど優しい人」でした。

親も人間です。感情があります。
そして、親子といえども相性があります。

しかし、子供が子供である間は、親は子に愛情を注ぐのが義務です。
子供には愛情を受ける権利があり、自分を愛する価値があるのです。
子供はあなたのサンドバッグではありません。感情の受け皿でもありません。

それを肝に銘じて、子供を作り、育ててください。

私も親になりました。
ミッシャンはとても燗の強い、ヒステリックで頑固な(まるで私の母みたい)、娘です。

私も、叩いてしまったり、怒鳴ってひどいことを言ってしまったり、理想のママ像からは程遠いところにいるのが現状です。

でも、私は真剣に育児に取り組んでいます。
どうしたら怒らずにミッシャンの気持ちを和らげることができるのか。
どうしたらミッシャンを傷つけずにいられるのか。
常に悩み、考え、新しいアプローチを試みています。

うまくいく日もあれば、ダメな日もある。
泣くことも多い。
もう無理ーーーー!!!と思う日も、正直たくさんある。

私とミッシャンは相性悪いのかなあと悩んだりもします。

それでも、親子。
ミッシャンに私のような人生は歩ませたくない、絶対に。
私がミッシャンの夢に鬼婆となって現れるのだけは、防がなければ。
虐待の連鎖は、私が絶つ。

という気持ちを基本に、無理しすぎず、周囲の助けをかりながら、子育てしています。


なんだか取り留めのない文章になってしまいましたが、これが私の虐待体験です。
もっともっと色んな感情や、出来事があったのですが、とても書ききれないのでやめておきます。
虐待って、報道によくある残虐なものだけじゃなく、世間に知られず家庭内でひっそりと行われているもののが実は大半で、当の親は虐待の意識すらないんです。

そういう虐待を受けている子供たちは、施設に保護されることもなく、ひたすら耐える日々。大人になってもトラウマに悩むこととなる。

我が子にトラウマ人生を歩ませないために、親は虐待というものを少しでも知ることが大切だと思います。日本における虐待の実態、どのような法整備がされ、どのような対策がとられているのか、虐待をしてしまう側の心理や状況、私たちにできること。
メディアで報道される残虐非道な事件ばかりが虐待ではないことを知るべきです。そして、鬼のように思える親に対するケアこそが、虐待防止に繋がることも知ってください。


長く拙い文章をここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
虐待について書くには、正直時期尚早だったかもしれませんが、今回は、チャレンジした自分を褒めてあげたいと思います。
そして、1人でも多くの方が児童虐待問題に興味を持ってくれたら、嬉しいです。
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by myums | 2014-07-19 11:11 | 国際結婚とカナダ