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虐待を考える 虐待が残すもの

虐待が残す傷、その1

虐待されている子供に、「虐待」という認識はありません。
体罰を受けること、親から認められないことが、普通なのです。

前述の長女の場合も、体罰は正しいという間違った大義名分の下、ストレス解消の手段として次女を虐待していました。

そして、どんなに辛くて苦しくても、その気持ちを告白することはできません。
なぜなら、それが「普通」であるから。
長女は、両親のケンカや体罰は、どこの家庭にもある普通のできごとと信じていました。「つらくてもいやでも、みんなたえてるんだ。子供ってそういうものなんだ」

大人になる過程で、「育った環境が普通でなかった」と気づいていくものですが、だから、どうした、もはやどうにもできません。

せいぜい、可哀想だった自分に哀れみの涙をながしてやることくらいです。

やがて結婚し子供がうまれ、親となったとしても、はて、どうやって普通の家庭を築けばよいのか、まったくもって分かりません。

そうして、育児に行き詰る。
子供を叩きたい衝動に駆られる。必死に抑える。ストレスがたまり。ある日、叩いてしまう。すっと気持ちが治まる。叩くことが日常化する。

虐待が虐待を呼ぶ典型パターンですね。


虐待が残す傷 その2

日常的に体罰を受けていると、歪みます。
泣いて謝りながら、親を憎みます。
面従腹背し、ばれなければ良いというずるさが育ちます。

その代わり、自尊心という花は枯れます。
自尊心は人間に生まれつき備わっているものなので、花は枯れても根は残るのです。
残った根っこは開花を許されることなく、行き場を失い、心の中で腐敗し、精神を歪ませます。

長女の場合、親に認めてもらうことなかった自尊心を、「欠点」として処理しました。
本当の私は賢くて、物事を深く見つめている。
そう思う自分を、「図々しくて、うぬぼれている」と否定してきました。

徹底した自己否定を繰り返すうち、長女は無気力になりました。
努力しない人生を選択することで、辛い現実から目を背ける。
頑張らなければ結果に傷つくこともない。
逃げ場のない長女の、自己防衛だったのでしょう。

元来、子供はこんな小難しいことを考える必要はないのです。
子供が幼い脳みそを毎日フル回転させ、「自分に価値がない」という答えにたどり着き、納得する。

そんな状況にわが子を追い込んでいることに、気づかない親。

これは親の怠慢です。
精神的虐待です。

子供は口を閉ざせば閉ざすほど、心の中で絶叫しています。「気づいて」、と。

夜の洗面所でかみそりの刃を手首にあててみたり、ベランダから飛び降りてみようかと考えてみたり、できもしない自殺の真似事をしていた長女も、本心は、誰かに気づいてもらいたかった、可哀想にと慰めてもらいたかった。


幼少時代に受けた虐待は、トラウマとなり、大人になってもなかなか抜け出すことができなくなります。そうすると、精神的未熟な大人ができあがってしまうのです。
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by myums | 2014-04-18 05:31 | 国際結婚とカナダ  

虐待について考える ある家庭の場合

夫婦喧嘩が日常である家庭がありました。
その家庭は父、母、長女、次女の4人家族で、3DKの狭い都営住宅に住んでいました。

夫婦喧嘩が始まると、決まって長女は涙を流しながら妹の手を引いて、公園に非難していました。
ある日、エスカレートした母の暴言にぶち切れた父が包丁を持ち出しました。
「110番して!お母さん、殺されちゃう!!早く早く!!」
母は長女に叫びました。
あわてて受話器を取り上げる長女。
「100番なんかするな!そんなものいらん!!」
叫び返す父。

母と父の間に挟まれた長女は、受話器を握り締めたまま、どうしたらよいか分からず、ただ静かに涙をこぼしていました。

長女は母を恐れていました。
母は感情の起伏が激しく、また夫婦関係悪化のストレスも手伝って、長女を日常的に怒鳴りつけ、叩いていました。

狭い家の中を泣号泣し逃げ惑う長女を、母は捕まえ、叩きました。長女を叩くことが母の務めであるかのようでした。
母の気の強さに適うものはおらず、父も親戚も、叩かれ怒鳴られる長女を「可哀想」と思いつつも助けてあげることができませんでした。

物心ついたときから、長女は、同じ悪夢を繰り返しみていました。
林の中を鬼婆に追いかけられる夢です。
近所の公園まで必死に逃げて、ほっとした瞬間目の前にあの鬼婆が突然現れるのです。
その顔は、怒りに燃えた母の顔でした。

心臓をバクバク言わせながら、毛布を頭まで引き上げました。
毛布の臭いをかいでいると安心するのでした。

長女は次女をよく叩きました。
「謝ってても顔が笑ってる。謝り方がなってない」
母が妹をしつけないから、私が代わりしつけるんだ。


早晩、夫婦は離婚しましたが、娘は2人とも父と生活することになりました。
娘たちの希望は、もとより聞かれることすらありませんでした。
母は若い男性と再婚し、姉妹は週末を母のアパートで過ごしていました。

離れて暮らすことで長女が母に叩かれることも減ったある日、母は長女に言いました。
「あなたも口で言えば理解できる年になったから、お母さんはもう叩くのをやめるね」
長女は「うん、わかった。ありがとう」と言いましたが、腹の中は煮えくり返っていました。

あなたは今まで私にしてきた仕打ちを、しつけと称して謝らないつもりなのね?!
ずるい。

約束どおり、母は長女を叩くことをやめました。
正確には、叩く体力も残されていなかったのです。

「あたなのお父さんは最低」
絶対安静の布団の中で、母は父を罵りました。
「お父さんのことを悪く言わないで。私にとってはお父さんはたった1人のお父さんなんだから!」

長女は父のことを、気弱で甲斐性のないダメ男だと思っていましたが、弱くなった母についに反旗を翻すために、本で読んだせりふを口にしてみたのです。
口にした瞬間、長女は生まれて初めて母に反覆した自分に、驚いていました。

母は何も言いませんでした。

長女13歳、次女10歳で母は死にました。

長女が死を意識し始めたのはこの頃でした。

私に楽しいことがやってこないのは、私の人生に価値がないから。
そういう運命なんだ。

日々思考をめぐらせ、辿りついた結果に愕然とすると同時にすっと胸の閊えが取れたように感じました。

ああ、そうか。
なら、死んだほうがいいか。

自殺を試みましたが、怖くてできませんでした。

自殺すらできない自分の意気地のなさが情けなく、自分の弱さをなじりました。

死ねないなら、死んだように生きるしかない。
目を閉じ、じっと耐え、この人生が終わるのを待とう。

それが長女の辿りついた答えでした。
長女は努力をせず、ただダラダラと、楽な道を選びながら、死に向かって日々を送ることにしたのです。

あの悪夢は、まだ続いていました。

夢の中だけではなく、実際の生活も悪夢でした。
母の死によって、叩く人はいなくなりましたが、今度は父が借金をこさえて、電気もガスも水道もとまり、極貧生活が始まりました。

姉妹はバイト先から余った食料を持ち帰ったり、時には友人にお米を分けてもらったりしながら生きていました。

長女は、ひたすら目を閉じ、楽な道をダラダラと歩き続け、そんな自分を嫌悪しながら、いつしか大人となっていました。

父が破産宣告をし、借金取りに追われることもなくなり、悲惨な昼ドラ家庭は終焉を迎えました。

残されたものは何でしょう。



 
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by myums | 2014-04-11 06:05 | 国際結婚とカナダ