<   2008年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 

BOY A

c0057810_23343832.jpg


『BOY A』を観ました。

今年ベストと思える映画でした。

窓から柔らかな日が差し込む部屋で、テーブルを挟み向かい合う出所前のジャックと、彼の父親のような存在であるソーシャルワーカー(?)のテリー。
テリーから、escapeと書かれたスニーカーをプレゼントされて、「I don't Know What to say...」と口ごもるジャックに、「Say Thank you」と優しく教えるテリー。
ジャックは思わず立ち上がり、テリーに抱きつきながら、「Thank You」を繰り返すのでした。

映画はこんなシーンから始まります。
気持ちを言葉に表すのが苦手で、繊細で純朴な青年。
ジャック演じるアンドリュー・ガーフィールドは冒頭シーンで、私たちにジャックの柔らかさを印象づけます。

悪人にはとても見えないジャックがどんな罪を犯して刑務所に入っていたのか、この時点で観客には分かりません。出所後のジャックが新しい人生を送る過程で、過去の罪を思い出し苦しむことで、私たちにもその罪の内容が徐々に知らされていくのです。

この構成はうまいですね。
まず、ジャックという繊細な1人の青年を理解してもらって感情移入させることで、ジャック=犯罪者=悪人っていう先入観を観客に植えつけない。

とは言うものの、実は私は事前にPLOTを読んじゃってたので、彼の罪状ってのも知ってて観たんですが、それでも十分良かったです。知っていたからこそ、ジャックの揺れ動く感情の機微とか、微妙な表情の動きとか、深く味わえた部分もあったかなって思うくらい。



c0057810_23384535.jpg



ジャック演じるアンドリュー・ガーフィールドの演技はうまくって、心掴まれます。
「俺には幸せになる権利はないのでは」という罪悪感と、「新しい別の人生」への希望の間で揺れ動く心情を、繊細に痛々しくも、とても素直に演じていました。

特に、交通事故から少女の命を救い、周囲からヒーロー扱いされた時の、複雑な表情は、ぐっときました。

助かった少女と、死んでしまった運転手。あの交通事故の一件を通して、命の重さと、自分の犯した罪の重大さを、ジャックは改めて噛みしめていたのではないでしょうか。
そして、少女の命を助けたことで、自分の罪が少し清算されたようにも感じていたのかもしれません。

だから、生まれて初めて愛した女性にだけは自分の本当の過去を打ち明けたいと思ってしまう。しかし、テリーから「今でもお前を憎んでいる人間がいる。誰にも過去は話してはいけない」と反対され思いとどまります。

この時のジャックは、嘘をついているようで心苦しいんだ、とテリーに訴えますが、実のところ、心の底に甘えがあったんじゃないかと思います。過ちは過去のことだから、彼女なら許してくれるんじゃないか、その罪をひっくるめて丸ごとの俺を愛してくれるんじゃないって。

しかし、社会はそんなに甘くない。

ジャックは確かに純粋で優しいはにかみ青年です。罪を憎んで人を憎まずなんて言葉があるように、ジャックはとても憎めるような人間じゃない。
長年に渡る刑務所生活で十分罪を償ったとも言えるでしょう。
だけど、やっぱりジャックは他人に対する想像力が欠落していて、犯した罪の重さや被害者の遺族の苦しみにまで、考えが到達してない印象を受けました。
自分の苦しみには敏感なのにね。

たとえば、入社してきた隣の同僚が、気弱だけどめちゃくちゃいい人で、一緒に飲みに行ったりする友達になったとするじゃないですか。
半年くらいした頃に、実は彼が光市母子殺人事件の犯人(実際には死刑確定してますけど)だって分かったとしたら、どうですか? 今夜も一緒に彼と飲み行けますか?

できる!と言い切れる人はよっぽど慈悲深いか偽善者です。
私だったら動揺して距離置きます。その人の中に潜む暴力性を感じて怖いと思うかもしれない。
それは仕方ないと思います。だって、ことが殺人ですから。

しかし、だからといって犯罪者は一生日陰の身でいろとは思いません。犯罪者にも人生を再生する権利があると思います。だから、一生秘密にして欲しい。その苦しみは、一生自分の背中に背負って、誰かと分かち合えるなんて思わないで欲しい。ましてや社会に理解をしてもらうとか、罪を忘れてもらおうなんて、思わないで欲しい。

んー、やっぱり私は無意識の成敗者になってるかも?


c0057810_23394652.jpg



テリーとその引きこもりの息子とか、とってつけたような設定がちょっと気になりますが、役者もいいし、静かな中じわじわと高まる緊張感に引きつけられる映画です。最後の、晴れたブライトン・ビーチのシーンは、夢なのか現実なのか線引きができないくらい幻想的で、素敵でした。

物語はひたすらジャック目線で進むのですが、それに流されず、きちんと自分の目でこの映画を見て欲しいと思います。
[PR]

by myums | 2008-11-12 01:19 | 映画・海外ドラマ は行  

ファクトリー・ガール

c0057810_21152561.jpg

『ファクトリー・ガール』を見ました。

60年代、アンディ・ウォーホールに見いだされ、ポップカルチャーのアイコンとして一世を風靡したイーディー・セジウィックの伝記的映画です。

イーディーは上流階級出のお嬢様。芸術家を目指してNYの美大に通っていたところ、あるパーティーでコマーシャルアートのスーパースター、アンディーに見いだされ、業界人の仲間入り。美人で自由奔放、センス抜群なイーディ―に誰もが魅了され、ファッションアイコンとして人気を博し、当時絶大な支持を得ていた歌手(本人から使用許可が降りなかったらしく名前は変わってたけど、ボブ・ディラン)と恋に落ちたりわけですが、結局はドラッグに溺れ、アンディーにも時代にもほされ、28歳の若さでO.Dで死んでしまいます。


c0057810_2118826.jpg



そんなイーディーを演じるのは、シエナ・ミラー。
彼女は、めちゃくちゃ美人なのに、モデルとしても女優としてもオーラが足りなくて、没個性なので、あんまり好きじゃないんですが、この映画では好感度高かったです。

私はこのイーディーって人の存在すら知らなかったのですが、高貴であるけれど家庭環境は劣悪で、兄弟が自殺したり、父親から性的暴行を受けていたりして、精神病院に入院してた時期もあったようです。
(映画の中ではそういう設定でした)

イーディーが時々見せる、トラウマを心に隠し持っている人特有の表情。怯えた瞳と卑屈な笑顔ってのをシエナはうまく演じてました。

でも、一番重要なイーディーという人間の輪郭がぼやけてしまっていたのが残念。
「彼女は素晴らしい!America's it Girl!」と賞賛される割に、そこまでの輝きはなく、「かわいいけど代わりはいそう」的な感じだったし、多面的で強さの裏に弱さを隠し持つ女性という雰囲気でもなく、「純粋だけどNaiveなお嬢さん」的な印象でした。
これはイーディーのコマーシャル活動や心の葛藤ををサラッとなめて終わらせてしまった脚本にも問題があるし、その少ないチャンスの中でイーディーの本質を表現することのできなかったシエナの力量不足もあるかな。


c0057810_23565546.jpg



ファクトリーと呼ばれ、当時の新進気鋭アーティストたちのたまり場となっていたアンディーのアトリエでドラッグやったり、なんだかよく分からないコンテンポラリーな映画を撮影したり、そういう退廃的なシーンばっかりフォーカスされてて、60年代のアングラがどんなものかってのはよく分かったんですが、世慣れてないイーディーが堕ちて行くことも容易に想像がついちゃいましたね。

ただ、イーディーの場合、ドラッグやって破滅したっていうより、もともと破滅型な性質だったんだと思います。アンディと手を切るチャンスはたくさんあったのに、そうしなかった。「アンディを信じていた」と彼女は言うけど、本当にそうとは思えない。彼女くらい感受性の豊かな人だったら、自分の中で警鐘は鳴っていたはず。

映画の中で彼女は言います。

「I made decisions, life desions that I regret」

このセリフを聞いたとき、後悔すると分かっていながらも誤った選択をしてしまう、そういう生き方しかできな自分を受け入れてる感じがしたんですよね。
「しょうがないの、そういう風にしか生きられないのよ」って。
イーディーは、闇を抱え続けた人間だったんでしょうね。


イーディーをスターダムへ押し上げた人物であるアンディ・ウォーホールは、ポップアートを誕生させたアーティストで、その名前を知らない人でも作品なら見たことあるはずです。

c0057810_21353940.jpg←アンディの代表作品。


アンディは、有名人とかコマーシャルなものに弱くて、プライド高くて、意地っ張りで、人の痛みがわからない高慢ちきな芸術家。
だけど、心の底では罪悪感を抱えてて、精神薄弱で、そんな弱さを他人に悟られまいと必死に隠して冷淡を気取ってるだけの奴。

いつでも誰かと電話で話したり、お気に入りを傍に置いてるくせに、誰にも固執しないのは、孤独と対峙できない弱さであり、人と裸でぶつかり合う勇気のなさの現れ。
そして使うだけ使って捨ててしまったイーディーに対して吐く心ないセリフとは裏腹に、一瞬見せる後悔に歪んだ表情。

アンディを演じたガイ・ピアーズは、アンディのこの二面性をすごく良く演じてました。イーディーの伝記映画なのに、アンディの方が強く印象に残ったくらい。

アンディとイーディーは、互いの内に同質の弱さがあるのを感じていたのかもしれません。それが二人を引き合っていたのに、イーディーは純粋さ故にアンディに入り込み過ぎ、アンディは自分の領域を守りたいという自己防衛心からイーディーを拒絶してしまった。

アンディって人は、自分でも自分を持て余して、疲れる生き方してたんじゃないかなー。誰にも本当の自分を見せない、っていうか、見せる術を知らずに。

イーディーにしてもアンディにしても、自分の生き方に選択肢を与えないどころか、選択肢があることすら思いつかないところが、破滅的で哀れ。
60年代って、ファッションやエンターティメントはポップでコマーシャルだけど、人の心は退廃的なムードが漂う時代だったのかな。


コネタ。
アンディの取り巻き(?)の一人にメアリーケイト・オルセンが!
しかもエキストラのような役で!
びっくりでした。

c0057810_22265454.jpg

[PR]

by myums | 2008-11-09 00:10 | 映画・海外ドラマ は行