「死んでいる」ことと「生きている」ことの違い。

自殺はなぜ、いけないか←ぜひご一読下さい。
教育現場で働くレナさんの『レナ思うゆえにレナあり』からトラックバック。

私が小学校6年生の頃のある日、
「お母さん、乳ガンになっちゃった」と母から告白された。
「だからね、入院してオッパイを片方取らなきゃいけないの」。
私には、それらの言葉がピンとこなかった。
だって、母はいつものように、明るく強く、美しかったから。

その日から、母の闘病生活が始まった。
既に末期と告げられていた母は、入院後すぐに片胸を切除した。
それでも、母は変わらず、明るく強く、美しいままだった。
1年ほどして、母は退院した。
そして、ブラジャーに詰め物をして、働きに出た。

しばらくして、母から「お母さん、もう片方の胸も取ることになったの。
だけど2~3ヶ月で退院できるからね、心配しないでね」と告げられた。
私は素直に、そっか、悪いところを取っちゃえば退院できるんだ
と思っていた。
だが、母は3ヶ月たっても半年経っても1年経っても、
病院の白いシーツの上だった。

母の体は、もう既に私の見慣れた物ではなくなっていた。
両胸を切除した胸部は、平らというより、えぐられたように凹んで、
肋骨が浮き出て、手術の傷跡は大きく、ピンク色の肉が盛り上がっていた。
ガンは、まだ30代後半であった若い母を、どんどん蝕み、
母の顔や体は抗がん剤の副作用でむくみ、
そして、ある日、とうとう意識不明になった。
口、鼻の穴、胸、体中にチューブを突っ込まれ、
声をかけても、手を握っても、泣いても叫んでも、
反応しなくなった。
そして、母は亡くなった。

母の遺体が家に運ばれ、布団に寝かされた。
私はその隣に布団を敷き、一晩を共にした。
夜中に目が覚めて、横を見ると、そこには、母が横たわっている。
起き上がり、彼女の顔を見つめた。
暗がりの中にクッキリと浮かび上がる、母の青白い顔。
これは、本当に私の母なんだろうか、それとも何か別の物体なんだろうか。
恐る恐る、その手に触れる。
硬く冷たく、硬直した手。
私は母の手を握ったまま、泣いた。

魂の抜けた死体。
それが今の母。それは母であって、母でない。
つい数年前まで、この亡骸は、動き、笑い、泣き、愛し、怒り、人生を見つめ、
確かに「生きて」いたというのに。
情けなくて、情けなくて、涙が止まらなかった。

私はその時、痛切に思った。
「人間、生きてナンボ」

社会が悪くても、自分を見失いそうでも、人間関係に悩んでいても、
死にたいほど苦しくて、もがいていても、
とにかく生きる。
それが、母の死から学んだ私の哲学。
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by myums | 2005-04-29 16:05  

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